立ち直る

ちょっとしたことで落ち込みそうになったり、できなかったことに悲しくなった時は「できること」を数えてみる。そうすると周りの人の笑った顔と面白い話を思い出してほっとして前を向ける。前を向いて日々を過ごしてたまに疲れてかさぶたをめくりそうになったら、また「できること」を数える。最近はずっとその繰り返し。

信心深いわけでもないけど、日頃の行いは心がける。でもそれは行きたいコンサートや舞台に当たったり、良い曲を作ったり、歌が上手くなりたかったり、行きつけのカフェでゆっくりしたいからというひそかな欲望を叶えたいがためなのでかなり浅はかではある。それでも適当に流したり、嘘や見栄をはることで後悔はしたくないので日頃の行いだけは心がける。

目を閉じて6秒数えても納得できないことはちゃんと伝える。嫌なことをしてきた人や、腹立つ人にその言葉を投げ返さない。ジョーカーになれなかったアーサーみたいに頭の中でぐつぐつ考えるふりをしてすぐ忘れる。忘れるふりをして実はずっと覚えてる。

だいたいそんな感じ。

WEST.ののんちゃんのミュージカルを友人と大雨のなか観に行って、とっても感動した。太ったり二日酔いになったり痩せたり歌上手くなったり独壇場のように1人でずっとコンサートで漫談しているのを見ていた分、その演技と歌声と佇まいにぐっときてしまった。1人のアイドルとして、同い年だからこそ、余計に親しみを感じていたけど、しばらくは尊敬する人に小瀧望と答える。今でも目を閉じるとシャンデリアの下でのんちゃんはタップダンスを踊ってる。あのシーン、別に泣けるわけじゃないのに泣いてしまった。

尊敬する人に限りなく近く、両親の次に自分の人生に影響を与えた人は恥ずかしいけど、吉井和哉だと思っている。10月8日はそんな吉井和哉のバースデイ。だから10月はずっと前から何だか特別。

だから全くチケットが取れなくて一般発売と当日券並んだ奥田民生のライブに吉井和哉が出てきてほしいなって思っていたら本当に出てきた時はびっくりした。

友達が私の作る音楽をミス明るい哀愁と言ってたけど、恋のかけらはミスター明るい哀愁だった。(wilcoのToo far apartと、山下達郎のあしおととblurのBarbaricもとっても明るい哀愁)

自分を大切にできていない自覚があったけど、向井くんの舞台のニュースを朝から見て、自分を大切にしよう、しゃんとしようと思って生き返る。

その繰り返し。たぶんずっと。

 

 

 

無題

遅刻ギリギリになりそうになったら焦るんじゃなくて、前の部署のトラウマを思い出してしまくから、もうあの時間の電車に乗るのは辞めようと思う。

脳みそにびりびりとこびりついた、わたしを傷つけた言葉が毎日毎日こころをえぐっていくから。

いつもお昼時間にシリアルに牛乳をかけて食べている上司にお昼ご飯に誘われた。

2.5周りくらい年上なのに、仕事のことやいろんなことをまるで友達に話すみたいに伝えてくるので、顔をぼんやり見てた。お月さまみたいなかたちの笑顔だなって思った。

いつか、この人が亡くなったらわたしはお葬式に行って今日のことを思い出すんだろうな、と考える。

23時過ぎに塾を終えて帰宅して、終わらせたかった仕事をして、一息ついた。化粧を落としてたらお月さまみたいな笑顔を思い出して、クレンジングバームを顔の上で溶かしながら泣いた。

老いるためだけに生きるにはまだ早かったみたいに、すべてがうまくいきますように。

無題

朝起きてコーヒー淹れて準備して電車に飛び乗って仕事場に行って働いて、相談したり悩んで笑って働いて、人より少し長く働いて終わったら勉強したり家事したり洗い物したりしたら、お風呂に入って日記を書いて1日が終わる。

これを1ヶ月?1ヶ月半?くらい繰り返してたら頭の中でふきだしがもくもくと出てきて、休みが必要だ。と奥田民生がコーヒーを歌いはじめる。

いつぶりか思い出せないけど、仕事終わりに遠回りで浅草まで来て、オックスフォードで食べたクッキー屋さんがオープンしていたのでコンビニのコーヒーを片手にスカイツリーを眺めながら食べている。

いつぶりか思い出せないけど(part2)、阿部義晴だった頃の風花雪月を聴いてる。いまちょうど風花雪月が流れてる。

出勤早々、無造作に並んでいる女性たちの対応で気を吸われたけれど、休憩時間に職場の隣の隣の隣に向井くんの看板があるのを知って見に行った。今まだで見た向井康二の中でいちばん大きな向井くんだったように思う。

やるべきことはたくさんあるけど、明日の自分に頑張ってもらうとして、約束も待ち合わせもない今日の仕事終わりを過ごした。

 

歩いて帰る

2024年9月

夏の思い出たっぷりの8月が終わり、落ち着くかと思っていた9月。

仕事が過去最高で忙しく、めちゃくちゃ働いた。でも、毎日なんだか楽しくて、周りの人は明るく怒って明るく笑ってた。

仕事ばかりしていたわけではなく、いつも通りよく遊んだ。

真夏のような暑さの中、ディズニーランドに行って観た熊たちのショー、

年中行事になりつつある山下達郎のコンサートで、今日はなんだかが聴けたこと、

木更津のアウトレットに行って、行きのバスで息継ぎする暇もなく話し続けたこと、

家の裏にある怪しいバーのアサイーボウルを友達がテイクアウトしたこと、

美味しい焼肉のあとに家の前にできていたゴーヤをちぎってくれたこと、

駅前のカフェから出てきたら高校の友人にばったり再会して、後日、餃子を食べたこと。

映画を全く観る時間も体力もなかったけど、マルホランド・ドライブを観たこと。

こう羅列すると、自分の家の半径100mくらいで出来事が完結していることが露呈するので複雑な気持ちになるけど、小さな世界で奇跡みたいに面白いことが毎日起きてる。

「昔からこっそり面白いことを見つけては楽しんでいて、良いなぁと思っていたけど、今もそれが変わってなくて安心した。」と高校時代の友人に言われたっけ。

「がらくたの中からでも宝物を見つけられる人」だとディズニーランドでやった手相占いの結果には書いてあった。

山下達郎になってLove Spaceを思い切り歌いたいし、35年目のラブレターのフライヤー裏にいるシゲの笑顔を見ただけで切なくて泣きそうになってしまうし、今は山に登りたくて仕方ない。

転職して来月で1年経つ。一人暮らしを始めてから半年経った。

ずっとこの日々が続くとは思えないし、そうだったら良いなとも思うけど、いつか退屈になってぶち壊してしまうかも。

あの頃の私は幸せだったんだな、と未来で辛く悲しい日々が訪れたとしたら思うのだろう、とぼんやり考える。そう感じるくらい、いま私は穏やかな優しさを手に入れている。よかったね。